Hayuki’s diary

人との関わりにくさ、生きにくさや闇を抱え、ACODの自覚があります。猫好き札幌人「はゆき」と申します。

お空にも来てくれたサンタさん

事前にお伝えして下さっていたので、

置き配を目にした時の驚きはありませんでした。

…いや、驚きはあったな…。

箱の大きさで、驚きました。

ただ、その箱をじーっと見つめたまま動けずに

一旦玄関の扉を静かに閉めて、顔を押さえて泣きました。

この季節ならではのテープも嬉しく。

そのテープを惜しみつつ裂いていくと

素敵なラッピングと、メッセージカードがありました。

 

もう、それはもう、

いーいーいーいー泣きました。

 

えんえんとか可愛くなくてすまない。

 

写真がまだ入っていない状態でも ずっしりと重たい、

960枚たっぷり入る、写真アルバムを贈って下さいました。

写真映えしそうなブラック。

そして、SDカードリーダーまで…。

これも、すごく嬉しかったです(´;ω;`)

 

以前いただいたものや、自分で購入したものも利用しており、

このお陰で、過去のケータイの写真も見られているのですが、

母のiPadでも、見てもらいたいなと思って。

かわいいゆきちゃんの写真がわんさかあるので、

早く母に見てもらいたかったんです。

だからSDカードリーダーも、とても嬉しくて嬉しくて。

少しずつですが、準備していこうと思います。

これも、ゆきちゃんが与えてくれた楽しみのひとつです。

 

これまでも贈り物をして下さった方たちもまた本当に、

たくさん良くしていただきました。

 

改めて、どうもありがとうございました。

 

あったかマットも、ギリギリまで使っていましたよ。

これは今年2月の。足ピーンかわいい。

あったかマットはこの後 人間が大切に使います。

 

高価な療養食も、どれだけ助かったか…。

実のところ、11月に頂いたカリカリは、全て食べきれませんでした。

しかし、絶対に無駄にはさせないと決めています。

まだ、残ったフードや猫砂などの事まで全く手が回っていないのですが…

何とか保護団体など探して引き取って頂こうと考えているところです。

 

贈って下さる事も本当に嬉しかったし、

ゆきちゃんへの想いを語ってくれたり、

様々な方が、様々な方法で。

あなたならではのその方法で。

伝えて下さって、ありがとうございました。

 

伝えてくれるって本当に大切だなと思いました。

 

どうもありがとうございました。

 

ゆきちゃんはすごいな。

人徳?猫徳?

人柄?猫柄?

人望…ねこぼう…

本当に素敵な存在だ。

写真のチョイス…

 

▪️▪️▪️

 

そして写真の多さにてんやわんやしております。

 

CD-R・DVD-Rもある。

パソコン壊れた時にバックアップ取ってもらったのもある。

うちの環境ではCD-Rってブルーレイのプレーヤーに入れて、テレビ画面で見るしかないのか…?

テレビのUSBとiPad繋げられるのん?いみわからん

あっ、昔のデジカメもあった。

充電式じゃなく単三電池で使えて良かったのこれ。

ちょっとまってこの太古のウホウホケータイにもゆきちゃん撮ってあるよね!

さすがにこの太古のウホウホケータイにはマイクロSDカードなどない!

 

令和の今も、写真保存といえばCD-R・DVD-Rなのかしら。違うのん?

USBメモリやSDカードって割と繰り返しに弱いよね…。ものによるでしょうけれど。

写真整理のためだけにPC欲しいなあともよく思います( ˊᵕˋ;)

 

それとも今はもっとなにかあるの?iCloudとかお金払って託すやつ?

エッチデーデー?共有アルバム?NASってなんなす?

みんなどうしてるん…。ウホウホ…。

 

時代の流れもまた、それだけゆきちゃんと長く居たことを感じさせられます。

 

日々の写真フォルダには、

辛い時期にも、穏やかだった時期にも、

合間 合間にゆきちゃんの写真があって。

 

でも12月12日を最後にぴたりとなくなりました。

 

毎日まだお水やごはんは出しているのですが、

パウチや缶を開けた時のにおいが、すでに懐かしく感じます。

22年ほぼ毎日の ごはんのにおいが、もう懐かしく感じてしまうなんて。

 

ゆきちゃんが居た日々が どんどん過去のものとなって行くことが

今とても辛いです。

 

亡くなって日が浅い内は、どこか脳も心も忙しく。

ゆきちゃんが苦しみから解放された安堵や、ゆきちゃんへの感謝や愛ばかりが溢れていましたが、

苦しい日々は戻って行くのに、そこにふわふわで温かいゆきちゃんは居なくて。

 

おしっこでしめった猫砂が足に付いてしまって

床に猫砂の足跡が残っているのを

ずっと拭き掃除できないままでいます。

 

日々の辛さに浸かってしまって、情けない事に

ゆきちゃんが着けていた  母作のこの襟が柔らかくて、

ゆきちゃんのにおいが少し残っているような気がして、

ほおずりして泣いてしまいます。 

 

ベタに、骨壷抱きしめて泣く事もよくあります。

「ごめんねごめんね大丈夫だからね」と言いますが、ほんとごめんと思ってしまいます。

 

メソメソしてばかりでだめだなあと 頬をペチペチしながらも、

この現実の残酷さが、どう足掻いても、ただただ苦しいです。

 

一方で、なるべく楽しかった事を思い出そうとも思っています。

どうしても最期や、晩年の大変だった時が間近な記憶なので。

思い出せる大切なツールのひとつが写真です。

 

 

写真をプリントするのも大金が必要なので…一気には進められないと思いますが、

SDカードリーダーやアルバムを通して

ゆきちゃんと歩んだ22年という宝物を

改めて噛み締めたいなと思います。

 

そろそろダラダラ書くのも鬱陶しいなと自覚しています。

あともうちょっとかな…もう少し書き残したい事はあるので。

ごめんなさい。

 

最後まで読んで下さって、どうもありがとうございました。

 

 

 

 

ぽっかりとずっしり。

ゆきちゃんが亡くなった日を1として4日め。

 

もう、トライアルに猫砂とパウチ買いに行かなくていいんだ。

毎週あんなに大変だったのに。

あっぶねえ思いもしなくてもいいんだ。

学習しないことを恐れなくてもいいんだ(いいのか?)

母作の猫砂入れもお役御免だ。

トイレ用ポリ袋買わなくていいんだった。

えっ、ゴミ出し軽い。

今まで猫砂おしっこで重たくて重たくて。

軽い。楽。

悲しい。

 

 

足元を気にしなくていいんだ。

はみ出ているビニール袋は 母がわざと出していた。
ゆきちゃんがシャクシャク舐めるから。
そのために母がわざと出して楽しんでいたみたい。

本当に居ないんだなあ。

亡くなった後も「気配がする」「食べ飲みの音が聞こえる」など聞きますが、

今のところひとつも感じません。

私の気持ちとしては、その方が良いような気もしています。

「今の気持ち」でしかありませんが

その方が、この世への心残りや未練、心配や不安、戸惑いなどなくいられているんじゃないかなと思えるから。

「便りが無いのは良い便り」というように。

 

いつまでも ゆきちゃんゆきちゃん会いたいよ会いたいよメソメソメソメソばかりだと、ゆきちゃんに失礼だ。

そんな状態では「浮かばれないしょ」と母も言っていました。

 

ただ、そういう状態になる事を否定もできません。

その子の性格や年齢、亡くなり方。

そして環境や関係などにもよるような気もしています。

 

ゆきちゃんに関しては、だってあれだけ全うしたのだもの。

 

前々日には私と一晩朝までずっと過ごして。

前日には母の部屋で一晩朝までずっと過ごして。

そして母の部屋で亡くなるなんて。

なんて出来すぎた最期だったのでしょう。

こんなことあるんか。

 

一年半前、体重が落ちてしまって病院へ連れて行き、

いよいよ糖尿と腎臓の数値が悪くなったことを知った時のブログに、

私はこんなことを書いていました。

ふわふわ毛布でゴロゴロと、すやすやと…という訳にはいかなかったし

ゆきちゃん本人がどう望んでいたかは分からないけれど

本当に母の部屋での最期だったのはすごいなと思いました。

 

そして何より亡き骸が本当に、

可愛いだけではなく、美しくて、気高くて、神々しかったですから。

 

やはりその亡くなり方と亡き骸、そして見送り方が

未練の少ない気持ちにもさせてもらえている気もします。

 

▪️▪️▪️

 

とは言え毎日泣いています。

朝目覚めてすぐ、自分でも予想しなかったくらい えんえんと泣いて泣いて止まらなくなります。

ぐじゃぐじゃで起き上がって。

独り言も更に、病的に増えています。

 

母も毎日鼻をすすっているのが聞こえます。

私と同じく、心細そうです。

毎日お水とごはんを変えて、朝にはいちごベッドをぽかぽか窓辺に移動させ、骨壷を乗せています。

夜はひとまずテーブルの上に置きます。

ゆきちゃんコーナーを作るにはまだまだかかりそう

母が開けている扉を見ると、切ないです。

 

過去最大の悲しみに立ち会い、自分の脳も緊張していて、躁の状態である気もします。

これだけブログを書けているのもその証拠です。

これが落ち着いていった時が更に不安です。

終わりの始まりのような気分です。

 

やりたい事、やらなければいけない事もたくさんあるのに

体がこれまでにないほど重たくて、動かない。

 

この先母と辛気臭い日々が戻っても

そこには癒しのゆきちゃんが居た日常はもう無い。

 

何でも話せる 唯一の 話し相手が居なくなった

 

これから生活の中で辛い事があった時

すがるふわふわの愛はもう居ない

 

忘れて行くのも辛い

 

でもその分、与えられたものがそれほど大きかったという事でもあります。

 

ゆきちゃんが居ない景色には日々茫然としてしまいますが

だからと言って夢だったかのようでもなく。

 

亡くなってすぐは

私を保ち 作り上げてきた大きな大きなピースが抜け落ちたような感覚でしたが

抜け落ちてはいないはずだ

 

これまで彼女が与えてくれたものを

それはもう限りないものたちを

これからはより受け止めて受け継いで

私の人生と心を豊かにしてくれた感謝と共に

これからの よすがとして行こうと思います

 

写真がたくさんありすぎて。

まだまだいっぱいあって。

見て欲しくて仕方ない。

また逢う指切りもたくさんした。

 

それから、ゆきちゃんにたくさんの反応を頂けて、とても嬉しくて。

それも、ゆきちゃんの可愛さ美しさ、愛らしさ愛おしさを、

自分がこのような形で発信できたからこその賜物だと自画自賛しています。えっへん!うっふん!

 

もっと見てもらえるような方法もあったかとは思いますが、

猫専用アカウントまでは作ろうと思わなかったし、

動画編集は、努力とエネルギー不足で、それは致し方ないと思うし、

広く浅くではなく、狭く深くという私の気性がゆきちゃんにもそのまま反映された気がします。

 

今ここまで読んでいるあなたのことです!

こんなダラッダラな日記ふつうなら誰が読んでくれるか!

本当に、ありがとうございます!

今日は

以上!

 

 

初めてのペット火葬。ゆきちゃんとのお別れ。

ネット上で晒す事ではなく、自分自身や身内だけに留めておくもので

これは非常識な事なのかも知れないと思う気持ちもありますし、

見たくない、不快に思われる方もいらっしゃるかも知れませんので、

そのような方は読むのを控えて頂けたらと思います。

 

念のため申し上げておきますが、猫の遺体写真は一切載せておりません。

ちょっとしたイラストは載せます。かわいいやつ(自分で言うな)。

考えや想いはそれぞれです。否定も肯定もしません。

私は写真は載せないでいきます。

 

ペット火葬の方法も家族ごとそれぞれで。

これが良いとか悪いとか、正解か間違いかも解りません。

これは私の経験でしかないので、どこも同じではないし、雰囲気だけでも。

 

▪️▪️▪️

 

何年前か、どこかホームセンターだったような。

ふと目に入り、躊躇したものの 一応持って帰ってきたペット葬儀場のパンフレット。

数年引き出しの奥に潜めていましたが、いよいよ調べ始めなければという時期が来て、

ネットであれこれ調べて最終的に「ここがいいかな」と思った場所が偶然、

名前も忘れていたそのパンフレットの葬儀場でした。

 

いざその日を迎え

電話でも泣いて詰まって大変だったのに、丁寧に説明してくれて。

 

お手紙も入れることができました。

母はかわいいお家の手作り封筒

ゆきちゃんはハナマル猫生です。

無料送迎エリア内だったので、それも助かった。

到着電話が来るまで、ぎりぎりまで触れていた。

ふわふわだけど、冷たくて 硬い。

顔や体を見つめていても、触れても、

つくづく、ここにあるのは抜け殻なんだなあと。

それでも、車の中でも、少しでも長く触っていたかった。

 

家族葬 (立ち会い火葬+お骨上げ) 」という形式で

まるで人間のように丁寧な見送りができました。

本当に手厚くてびっくりしました。

札幌どうぶつ葬社さんというところでお願いしました。

 

送り迎えから全て1人の男性の方が担当してくださいました。

 

入ってすぐ祭壇があり、奥は火葬炉です。

祭壇の前に敷かれた シルク調のきれいな白い布の上に

箱から抱き上げて優しく載せました。

骨になる前の、最後の抱っこでした。

ゆきちゃんの抱っこ、上手かったんだよな私(自画自賛)。

 

好きだったごはんやおやつも、紙皿に移し替えてくれました。

写真やお手紙も並べてくれました。

上にかけていたリラックマのブランケットは持ち帰ることにしました。

母、やっぱり手元に残したかったみたい。

ダンボールは処分していただくことにしました。

こんなふうにひとつひとつ、ゆっくり聞いて確認してくれました。

 

ゆきちゃんの体を整えるのも「触れてもよろしいでしょうか」と一言あったり

病気はあったか、いくつだったか、亡くなった時の様子など尋ねながら、

体を整えて、瞳を閉じてくれました。

 

死後硬直で、私ではうまく瞳を閉じられなかったので

「ああやっと少し閉じたね。亡くなる前もずっと開けたままで疲れたしょ」

と言いましたが

亡くなってもまだ本当に本当に綺麗な瞳だったので、

それを見ておきたい気もしました。

でも猫って閉じてもまた開きがちなのだそう。そうなんだ。

 

私が言うのも失礼ながら…知識もたくさんで。

慢性腎不全からの尿毒症、息を引き取るその瞬間を見ていないので、

苦しんでいなかったかが気がかりで…とお話ししたら

苦しいと暴れたり、鳴いたり、目が見開いたりして亡くなってそのままになってしまうことがあるけれど

ゆきちゃんの場合は手足も不自然に伸びていないし、

目も見開いていないし

口も大きく開く事なく閉じたままなので

ゆきちゃんは静かに逝かれたと思いますよと。

こればかりはわからないけれど、でも、経験豊富な方のその言葉がどれだけ救われたか。

 

骨壷も覆い袋がたくさん。

母も私も一致のピンク。

だってピンク似合いすぎ罪なんだもの。

これ重罪

ミックス(雑種)は手足が長く、見本の骨壷には入りきらないかもと。

確かに痩せてから尚更、手足の長さは際立っていた。

やっぱり美猫。

写真は関係なし。かわいいから。今年の夏の。

置き場所に限りがないのであれば、骨を砕くよりかは、もうひとまわり大きいサイズの骨壷に入れることをおすすめ頂きましたが、

追加料金がかかるのでは…と不安になり聞いてみると、

大きいサイズでも料金は変わらずでした。有り難い…。

 

メモリアルグッズのおすすめだとか、追加料金の必要なプランの提案なども一切なかったのも

気持ち的にとても助かりました。

 

そしてスタッフさんは、祭壇の前で横になったゆきちゃんに

持参したスイートピーを両前足に挟めて、抱かせるようにしてくれたのです。

それがもう、お花を抱えているみたいでかわいくてかわいくて。

「添える」という発想しかなかったから、なんて素敵なんだろうと。

なんてかわいいんだろうと…。

 

死に水もできて。お水しばらく飲めていなかったから。

いつものように指でもちょいちょい口につけたりもして。

お線香をあげて、手を合わせて。

ひとつひとつ、ゆっくり、ゆっくり、丁寧に。

慣れない手順に戸惑う中、まだお別れまでお時間あるので大丈夫ですよと言ってくださったり。

 

その後、敷かれた白い布を母と持ちながら、火葬炉へと移動しました。

炉の中もきれい。

準備でしばらく私たちだけの時間になれたり、

せかさずに、距離を取って頂いたり。

 

小さなかごに入ったお花を持ってきてくれて、好きなように添えていきました。

小菊・ガーベラ・カスミソウにカーネイション

黄色にオレンジ、ピンクに赤に白

色とりどりでした。

お花いっぱいだね

いっぱい走って思い切り遊ぶんだよ

みーちゃんにも逢うんだよ

たくさん仲間がいるからね大丈夫だよ

 

母も私もそれぞれ声をかけました。

 

ゆきちゃん  ゆったん

大好きだよ  大好きだよ

楽しかったよ  幸せだったよ

また逢おうね  逢おうねゆきちゃん

さみしいな

ありがとうね  ゆきちゃん

 

ゆっくりゆっくり  炉の扉が閉まりました。

 

そしてお焼香。

 

火葬時間は45分くらい。待合室へ。

小さな室内ながら、全てが落ち着いて過ごせる空間でした。

飲み物も豊富でした。

空を見上げたくて外に出てみると、スタッフさんが声をかけてくださり

「あの緑の建物で火葬していて、煙突からゆらゆらと陽炎が見えると思います。

   あちらを写真に納める方もいらっしゃいます」

と教えて頂いて、私もそれをしばらく眺めていました。

 

ゆきちゃん。

 

 

その後母と、ゆきちゃんの写真を見ながら45分後。

冷却も済み、火葬は終わりました。

 

ゆきちゃんもっとちっちゃくなっちゃった。

 

後ろ脚、尾てい骨、背骨に前脚、ひとつひとつ説明していただきました。

細い骨。でも割と骨密度はあった。スカスカじゃなかった。

喉仏もちゃんとあって。

仏様が座っているような形なんですって。

 

爪も歯も崩れないで残っていたのがかわいかった。

ちゃんと奥歯も抜けずに残っていたんだなあ。

 

本当に、骨までかわいかった。

 

うんちも少し残っていて、最期の方まで食べられていたんですねと聞いた母は安心していました。

「しっぽはどこですか?」と聞いたら

くるりと足元にくるませていたしっぽは、上の方に骨がありました。

 

嬉しい時や ごきげんな時は、しっぽを上にぴーんとする。

若かった時はさらにプルプルさせて、大好きアピールしてくれる。

晩年はもうしっぽを立てる元気なかったから。

うわあやっとピーンできたんだなあと 嬉しくなりました。

 

 

いやもうそれはそれは細かく詳しく教えて頂いて。

ほー…はえー…と感心しながら前のめりで骨を見る。

 

お箸で骨壷に入れていき、最後はスタッフさんがハケで丁寧に丁寧にかき集めて。

最後に喉仏を入れて。

人間とほんといっしょ。ほんとびっくり。

すごく良かった。

 

骨壷の覆い袋の名前も、

書かなくても良いし、貼ったままでは書きにくいだろうからと

シールを剥がして新しいものもくださいました。

母は「汚い字になる…緊張するとだめなんだ汚くなる…」と怯えていますが書いてもらいます!

 

支払いは最後でしたが、正直前払いしたいくらい不安でした。

追加料金がないか不安でしたが、事前のまま23,100円のまま。

体重によっても料金は変わりますが、こんなに丁寧にしていただけるのなら

とても満足でした。

 

ちなみにゆきちゃん、亡くなった時の体重は1.5kgしかありませんでした…。

頑張ったね…。

 

▪️▪️▪️

 

どのようなきっかけでこの業界に入ったのかなと知りたかったくらい、

本当に口調も対応も丁寧で、気遣いに溢れた空間で

ゆっくりとお見送りできた事が、どれだけ救いになった事か。

 

こんな素晴らしいお仕事ができる方って本当にすごい。

それはもう様々なご遺族いらっしゃるだろうな。

 

火葬車として始めて、でも火葬車だとなかなかゆっくりお別れができないから

数年前に建物を設けて今の形になったそうで。

桜の木もあって、樹木葬もできるみたい。

火葬車の良い面もたくさんあるのでしょうが、選択肢が増えるのは有り難い事です。

 

母も こちらにお願いして本当に良かったですと頭を下げていました。

 

今の住まいに越していなければ、

そもそもゆきちゃんはここまで生きていられなかった気もするし

前の地域なら、今回の葬儀屋さんには距離的にも頼めなかったと思う。

 

こんなに対応に感激のまま満たされて帰ってこられるなんて。

骨壷大きくなったねえ。嬉しいよ。

▪️▪️▪️

今朝も積雪があって、日中もちょっとお天気荒れる予報だったはずなのに

ずっと晴れた。

火葬中の空も、青が深くて、きれいで。

なぜか大気圏のような空も撮れた

なんだか不思議な空のようにも見えました。きれい。

帰りの送迎でスタッフさんの

「今日で根雪になりそうですね…」

と言う言葉が、何だか印象的でした。

 

最近降っていなかった雪は

亡くなった日にさらりと降って

お別れの日にふわっと積もって

 

雪ちゃんだね 本当に。

 

私が名付けたんだよ。

1番の宝物だったんだよ。

 

大切にお見送りできて 幸せでした。

 

ーーーーー

自分用ダラダラ語り日記は今後も続くかも知れない。

お付き合いくださった方が居ましたら、とても嬉しいです。

お話聞いてくださって、どうもありがとうございました。

 

 

 

その日も雪の日で。

ゆきちゃんを早く楽にしてあげてください

もう苦しませないでくださいお願いだからお願いします

と 絶え間ない祈りが届いたかのように。

 

雪の日にやってきたゆきちゃんは

雪の日に帰っていきました。

 

立てなくなって、お水もフードも一切口にせず 食欲廃絶となり

トイレもしなくなり。

それから2日後でした。

 

母から「ゆったんが亡くなった」と聞いた瞬間、ああ、よかったと微笑みました。

やっと楽になれたね と。

 

ただ

母は「安らかに逝ってくれて本当によかった、安心した」と言いましたが

その瞬間を見ていないので解らないのです。

それが気がかりです。

 

亡くなる前日の晩は私と一緒に過ごした。

寝つきが悪く、何度も起きあがろうとして、体を起こすと少し吐いた。

たまに、コクッコックンと飲み込む仕草もあった。

だから気持ち悪かったのだと思う。

朦朧⇄気持ち悪い を行ったり来たりだったんじゃないだろうか。

 

そして低体温になるとかえって暑く感じるのだと後から知った。

這いつくばって体がベッドからはみ出ても、冷えた体が心配で、寒かろうと毛布を掛けストーブで温めてしまった。

暑かったんじゃないだろうか…。

 

亡くなった後も、嘔吐跡と下痢尿が出ていた。

2日うんちおしっこしていなかったもんね。

足が弱っても、垂れ流す事なく 2日前までトイレまで行っていた。

うちに来た22年前から昨日まで一度も、粗相もなく、下痢もせず。

オムツにもお世話にならなかった。

 

ここ数日の症状は

慢性腎不全からの尿毒症そのもので

見事にその段階を踏んで行く様子に

このままだと 次に来るのは激しい嘔吐、そして痙攣だと気が気ではありませんでした。

 

だから最期は痙攣していなかっただろうか。

嘔吐と排泄した時どんな状態だったのか。

呼吸は苦しくなかっただろうか。

最期が気になって仕方がない。

 

でも、

今となっては それももう終わったこと。

非道かも知れませんが

今はもう苦しくないはず。

 

立てなくなってから、食べ飲みトイレしなくなってから2日。

早かった。

かえってその方が良かったと思っている。

 

うちには勿体なさすぎるくらいに

最後まで

たくましく

かわいく

立派な猫でした

立てなくなる直前のお昼
久しぶりに私の元に歩いてくっついてきて
何度も見つめてくれて
すごくかわいかったんだよ

病院にも滅多にかからない、かかってもすぐに良くなって

本当に家族孝行な子だった。

でもきっと、晩年は特に、痛いとか苦しいところ、あちこち色々あったんだろうなと思う。

 

痛かったところ 苦しかったところ 不便だったところ

ぜんぶ解放されたと思うと。

耳も聞こえるようになったかな。

昨日までの耳の赤々とした血管はもう見えなくなってしまったけれど

母と私の声も聞こえているだろうか。

 

どんな考えも想いも

全ては生きている側が納得するためのものでしかありません。

「今ごろ天国でみんなと酒でも交わしているかね」

などてめえのロマンチスト披露でしかないと思う私は心の汚い人間です。

 

それでも、納得する全てをかき集めないと

保てなくなるのです。

 

▪️▪️▪️

 

あらかじめ調べておいたペット葬儀屋さんに電話をして

翌日9時にお迎えに来てもらうことになりました。

 

電話をしても泣いてしまって詰まって わやでした(北海道弁)。

対応してくださった方の口調の優しさが、更にそうさせたのだと思います。

 

母の言葉や反応にも発見や驚きがありました。

費用面を考えて、合同葬あたりを希望するかなと思っていたのですが

開口一番「お骨は返ってくるのじゃなきゃ嫌だよ」と言いました。

「ちゃんと骨壷も付いてる?」とも。

 

私もそのつもりでいたので、家族立ち会い+お骨上げ葬に決めました。

 

お家の中は最低2週間から四十九日までは、お水もごはんもトイレもいちごベッドも

今まで通りにして欲しいと母にお願いしようとしたのですが

それを伝える前に

「来年の1月11日(うちにきた日)まではこのままにしよう」

と言ってくれました。

 

母も本当に、私が思っている以上に、大好きだったんだな。

心配だな。

 

先月ゆきちゃんが脱走してしまいましたが、それに関してもふと

ゆきちゃんは自分の残された時間を解っていて、

それで一度外に行こうと思ったんじゃないかな

と思ったり。

 

それを母に言うと

「引っ越して見慣れないこの家の周りを 見ておこうと思ったのかもね

   なるほどここに住んでいるんだなって。私たちを見守るために」

と言っていました。

 

心身の遠隔整体ができるすごい方が居て、私もお世話になっているのですが

ここ数年はちょっとゆきちゃんもお願いしていて

「ゆきちゃんは、懐かしい子供の頃の、草の香りを嗅ぎに行きたかったから外に出た」

というお話をしていただいて

それが本当だったらいいなあと思うし

 

こんなふうに

心の置き場所を

必死に探しています

 

今日もずっとゆきちゃんは母の部屋に居ます。

今夜も母の部屋で過ごすそうです笑

私にももうちょっと…笑  いやそれでいいのです。

 

さきほど箱に入れました。

ヤマザキさんのかわいい箱がちょうど良かった。

 

箱に入れるお花は

淡いピンクと白のスイートピーにしました。

ひと目で「これがいい」と思いました。

 

 

明日  ふわふわとお別れです。

 

 

自分語りで申し訳ありません。

今を残したかったので自分用ではありますが

読んでくださって、どうもありがとうございました。

 

あとわずかを過ごす

早かれ遅かれ、むしろもう充分に長生き。

そうは思っても、22歳での、4階から外への脱走が大きな引き金になったことには違いありません。

 

ゆきちゃんの最期が近づいてきました。

 

脱走後は少し回復したものの、脱走前の元気な声も、足取りも なくなり。

弱りながらもそれなりに調子の良さそうな時期もあり。

しかしそれは気休めでしかなく。

 

食べ飲みの量も日に日に減っていき。

これなら食べるだろうという ここぞと言う好物さえも

もう全く受け付けなくなり。

 

まさに慢性腎不全の末期症状です。

昨夜、気づくとベッドから落ちているのを何度も見て、何かおかしいと思ったら

昨夜、もう立って起き上がることもできなくなっていました。

食べ飲みも一切しなくなりました。

 

日中は歩けていたのに。

 

ショックと不安で何度もフードを温めて口元に持っていきましたが、

そっか  もうしんどいんだね。ごめんね。つらいよね。

と受け止めるしかありません。

 

目を閉じることなく、開き気味の瞳孔で

ぼーっと遠くを見ているように見えるその表情は

どんな景色を見ているのか

楽しかった想い出か

嬉しかった想い出か

美味しかった鮭やサンマやホッケ達か

いつ任務を終えるのか あちらとの話し合いか

向こうにいるおとうさんおかあさんきょうだい友達が呼んでいるのか

 

私が見えているのか定かではないその虚ろな表情に

ゆきちゃん、お願いだからいかないで

ねえ、わたし、ゆきちゃんが居なくなったらどうしたらいいの、 ねえ ゆきちゃん

ゆきちゃん

と取り乱してしまうことも多々あります。

 

また一方で、もう早く終わりにしたいとも。

虚ろな表情を見て、このまま安らかに逝ってくれないかなと。

早く楽になって欲しいと。

頑張りすぎて苦しむのは許さないからね

大丈夫だからね

あちらにもいっぱいお友達居るからね

大好きだよゆきちゃん

何度も何度も伝えています。

まだちょっと前までは本人は相変わらず面倒くさそうな顔していましたが笑

 

いつものゆきちゃんと私です。いつだって。

 

足が立たなくなってから介助もあり、朝まで居間で過ごしています。

ゆきちゃんも寝つきが悪く、何度も何度も這いつくばってベッドから出ようとする。

それが何なのかわからなくて、抱っこしてなだめたり、体勢を変えてあげたり。

 

何て深くて濃い時間なのだろう。

脱走したまま帰ってこなかったら

この時間はなかった。

あの日で終わっていたかも知れなかった。

だから今はボーナスだ。

 

ゆきちゃんに触れながら、自分も横になっていると

前のお家が浮かんできて

あらゆる場所で遊びくつろぎやんちゃするゆきちゃんが

次々と浮かんで  口元が緩みました。

 

今でこんなに悲しいのなら、出逢わなければよかったとは思えないのってすごい。

ここまで別れが辛いと思える程の相手と出逢えたというのは

本当に幸せなことであると

何処かで知った言葉は今 自分のものになりました。

 

昨晩も、穴が空いて焼き焦げそうなくらい

ずっとずっとゆきちゃんのことを見つめていました。

この宝石以上に美しい瞳も

こんなにかわいい肉球

しましまで長いしっぽも

愛おしい全てが  もうすぐここからなくなってしまうのだ。

 

昨晩、暗闇の中、ゆきちゃんの前足を眺めているとつい、

かぷっと食べて、肉球をはむはむしてしまいました(HENNTAI)。

これができるのもさいごだものね。

香ばしいニャップコーンのかおり。

しっとり柔らかい肉球

それはもうたくさんの道を歩み 踏み締めたその足。

 

まとめるつもりなく、ただ今の気持ちを走り書きしました。

おそらくこの後、気持ちが変わっていくと思うので。

今を残しました。

 

これまでのツイッター(X)も自分用に残しておきたいけれど

いつかは消えてしまうでしょう。

 

「行かないで」と「もう大丈夫だよ」

の繰り返しです。

 

私事でパパッと書きましたが、

読んでくださってどうもありがとうございました。

 

 

 

 

たくさんに守られて。

先日の 素敵な素敵な贈り物。

嬉しさに慣れる事は無く、

興奮の後には、いつもメソメソとしてしまいます。

 

ありがとう日記は 別に決まり事にしている訳ではありませんし、

贈って下さった方も重く感じてしまうのでは…という不安もあります。

ですので 日記を書くのは気まぐれです。

書かない時もあります。

書く書かないで「ありがとう」の気持ちは変わりません。

でも書きたくなる良き機会でもあります。
それはそうと良い顔。

炭酸水があると、とてもとても嬉しくなります。

カイロがあると、とてもとても安心します。

 

カリカリは ゆきちゃんの

今日の命になります。

 

本当に、どうもありがとうございます。

 

先日の脱走に関しては まだまだショックが大きく。

フラッシュバックのように何度も蘇ってしまったり、

想像や回想が止まらず 首をブンブン振るような不安感が続いています。

 

彼女が外でうずくまっていた駐輪場の陰。

その場所を通ると 胸が引きちぎられそうになり早足になってしまいます。

彼女はそんなものじゃない辛さだったでしょう。

 

温かいお部屋でぽかぽかと、穏やかに過ごして欲しかったのに。

限られたエネルギーをどれほど消耗させてしまったのだろうと。

あの日の事を思うと。

 

あの日の朝も、声があまりに大きくしつこく、きつく当たってしまった。

その時の彼女の顔も残ってしまい、

それで彼女は家を出てしまったのではと、

今も自分を責め続けています。

 

この自責と後悔は、この先ずっと残る気がする。

 

▪️▪️▪️

 

脱走後 さらに体もかりかりになったように思えて。

2.2kg

昔は抱っこする時あんなに大変だったのに。

今では軽くて、骨骨しくて。

骨が当たると痛いだろうから、優しく 服でふわっと包むように抱っこする。

 

心がぎゅっとなります。

 

お口まわりもふやけたり ニキビできやすくなっちゃう

脱走後、後ろ足がヨタヨタだったので数日様子をみようと思い、

でも年齢的にも、もう治らないのかも知れないと

帰ってきてくれた安堵からまた不安へと変わっていきました。

 

でも翌日から、ヨタヨタも良くなってきました。

…彼女のお父さんお母さんも、守ってくれているのだろうか。

どうしてこんなに繊細ながらも強く偉く育ったのですかと、

ご両親に大量のちゅ〜るを持ってお礼を言いたいくらいです(´;ω;`)

ホッケのにおいにうろうろする時も。

でも声や表情、動きなどは、脱走前より元気がない。

もうちょっと…調子戻って喋ってくれたらな…。

でも 朝はしっかり母を起こしに来るそうです。

 

食べる量もちびちびで。

ベッドにいる時に差し出すと もうちょっとだけ食べてくれます。

無理矢理にはしないように…でも促すように。

ちゅ〜るも (でも手に出したほうがよくなめる)

お水もこの指しずくシステムが1番飲んでくれるのなんで。

スプーンでも飲むには飲んでくれるのですが、

あまり乗り気じゃない。

なんとかならんか。

効率悪いし、餅つきタイミングみたいになる。

これ失敗

これ成功

食べ飲み後は口を拭いて。

すごいつくの

こんな付けてどうしたの

うんちの後はお尻拭いて、目やお鼻も汚れ取り。

お便秘気味なので、お腹もマッサージ。

できているのかなあ

少し前は初めて毛玉ができてしまって ほぐしたり。

爪切りやブラッシングだけではない、

それはそれはお世話の時間が増えました。

 

でもその分、

より深く、より濃い時間を 過ごせている気もしています。

聞こえない耳は動きませんが、

おでこに口を当てて、

ゆきちゃん 大好きだよ

と、よく話しかけます。

面倒臭そうな顔されてしまいますが(笑)。

 

▪️▪️▪️

 

高齢になると 人間でも動物でもよく聞く言葉があって。

「そこからは早かった」

穏やかそうに見えても、何のきっかけで弱って行くか、

一気にあちらのゲートが大きく開く時があるようで。

 

何にしても、もう一緒にここで過ごせる時間はどんどん短くなっている。

その時は、温かくて、落ち着くいつもの安心する場所で迎えてもらいたい。

 

戻ってきてくれて、本当に良かった。

 

でも今回の件でますます、この先必ず訪れる 彼女の居ない生活を、

生きていける可能性を見出せなくなりました。

 

どうなるのかな。

本当に。

 

今はまず、今日一日。

今日ゆきちゃんが居る。

そして素敵な贈り物、カリカリも頂けた。

 

1月の22年目記念日には

また家族写真撮ろうね。

最後まで読んでくださって、どうもありがとうございました。

 

 

止まった時計が動いた日

 

2013年

 

この後

互いにも、色々な事が起こってしまい。

 

それからぴったり10年振りでした。

C&Aとソロ合わせて25回目くらい?

 

私事ですが、氏を変えて、今の住まいに越してからも初めてでした。

 

会場は札幌芸術文化劇場  hitaru(ヒタル)。

2018年にできた、「さっぽろ創世スクエア」という大きなビルの中に 会館が入っています。

HTB放送局の新社屋となり、ビルのくぼみにonちゃんが挟まっているのも特徴です。

HTBさんといえば「水曜どうでしょう」。

大泉さんが「俺が建てた」と言ってやまなかったこのビルです。

 

北一条西一丁目。

さっぽろテレビ塔札幌市時計台の狭間にある、札幌のどまんなか。

個人的に「ライブ会場」とは、

ホールもアリーナもどっしりとした佇まいと

程よい敷地が設けられているイメージが強いため

ビル林の中に、しかもビルの4階〜9階に会場が潜んでいるという環境に

どうしても窮屈感を覚えました。

乗せてもらったはいいが、駐車場も満車で焦りました。

北菓楼さんそばの地下にある、北一条地下駐車場に停めました。

「余れば買うよー、無ければ売るよー」

とうろつくお兄さん達がちょっと怖かったあの頃。

カメラや録音機材の厳しいチェックがあったあの頃。

時代の動きが身に染みます。

ツアートラックも地下駐車場だとしたら、寂しい。

写真で残せる数少ない想い出アイテムですもの。

(出待ちも困る(オイ))

過去のブログに残っていた写真もツアトラ…なにしてるんだこれ。

なので今回の会場は、人が通りまくるポスターの前で皆さん写真を撮るしかなくて。

でもなんとか撮れました。嬉しい。

フォトスポット欲しいけれど、混雑も大変ですしね。

 

 

ホール内は評判通り、本当に美しく綺麗。

バレエやオペラを見るような印象の劇場。

私に与えられた席は、1階席の真ん中より少し後ろでした。

動揺すごくてくしゃくしゃでごめん

(ここからは文章が多めです…)

 

顔も見えて、全然豆つぶじゃなくて。

うわあ…うっわあ。ASKAさんだ。そこに居る居る…という感じで。

でも、欲まみれの私はいつだって

よりもっと前の席が良くて

ああもっと前がよかった…前が…いいなあ前…と

もどかしいわがままを剥がせないまま

手拍子で手がしびれて痒くなってくる、この懐かしい感覚を味わっていました。

■■■

10年振りのASKAさんは

時が止まってる?変わってない?いや進化してる!?

と戸惑うばかりでした。

 

心に轟く   沁みる

凄まじい声量と伸びと彩りと

 

知らない曲でも聞いていられる。ずっとその歌声を聞いていたくなる。

すごい   すごかった。

 

ライブは見る方もやはり緊張しているし、

同時に自分は昔と違って冷静な目で見てもいる。

周りの座席の人たちの存在もとても気になってしまうので

ほとんど泣くことはなく。

 

でもASKAさんの最初のひと吠えを聞いた時は すぐ立ち上がれませんでした。

両手で口を押さえて うずくまってしまった。

 

それに、予想していなかった曲でじんわり涙が出てきたり。

当時聞いていた時の自分が蘇ってきたり。

 

中学生の私、高校生の私、20代からの私が、

時に一緒に見ている気持ちになって。

それらを経て今、ここに座れている自分の不思議も感じながら。

■■■

『はじまりはいつも雨』は今までライブで何度も聞いているし、

そこまで思い入れはなかったのですが

客席の雰囲気も相まって、今までにないくらい、じーんと染み入りました。

なんて良い曲なのだろうと(今!更!)。

 

お隣の席のクールなお姉さま達も

「いい曲だよね。優しい気持ちになるよねぇ…」

としみじみ言っていました。

 

客席の雰囲気もとても良かった気がする。

いつもだけれど、いつもに増して。

なんだべ すごくよかった。

札幌、久し振りだったのもあったのかな。

みんな、待っていたんだな。

 

前の席の仕事帰り風スーツくんもノリッノリで。

身長もあるから時々見えなくて、あちこち頭を傾けながら見ましたが(笑)

それもまた楽しくてニヤニヤしました。

 

何度もライブで聞いてきた 大好きな『太陽と埃の中で』。

突き上げる拳の波の向こうに 彩りの光に照らされ歌う彼を見るこの光景…

「ああ これだ」「この景色だ」と顔をしかめて涙に耐えました。

 

『モーニングムーン』は初めて生で聞けました。

アレンジも当時のままで、感激ったらなかったです。

客席の盛り上がりもすごかった!

 

一緒に付き合ってもらった方がこう言ってくれました。

「ヒット曲や有名な名曲があるって強いね。

   他の曲知らなくても、その曲聞けただけで楽しかった良かったって思えるもの」

無理言って付き合ってもらってしまった萎縮感と申し訳なさが、少しだけ…救われました。

ありがとうモーニングムーン。

朝焼けのベランダで戸惑わずに済んだよ。

■■■

ASKAさんの曲には、

繋がりや縁を感じさせるものが印象的です。

それも大好きで、惹かれるところです。

 

ライブの後の余韻も濃く。

ああ…あすか…と口をついて出る。

ASKAに会いたい」と言う(会ったばかり)。

待ち受けをASKAさんにする。

歌った曲がループする。口ずさむ。

 

…全然変わっていないじゃんか(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

 

そして3日後に本格的な筋肉痛が出る(おっそ)。

 

ライブ中は緊張と集中と必死。

ライブ直後は興奮と唖然と放心。

その後にじんわりと噛み締めて、吸収されて。

自分の一部になって行くのだと思います。

 

■■■

ライブ中 一時だけ、我に帰る時間がありました。

終盤『今がいちばんいい』という元気な曲があって 盛り上がる曲なのですが、

共感ができなくて。

今の自分がいちばんいいと思えなくて。

 

「今の自分に万歳」できなかった。

「自分は違う」という後ろめたさがあった。

その時のステージは尚更遠く

誰よりも一番遠くで見ている感覚になってしまいました。

 

そう思えないのなら これを機に頑張るぞ!と思う勇気も逃げてばかりで。

頑張れていない自分を責めてしまいます。

 

あまり遠くを見すぎて、比べすぎて、

それらを出来ないからと自分を痛め責めることばかりですが

すぐそこにある 小さなこと。ひとつでも。

「ありがとう」をひとつ増やすだけでも。

言葉ひとつ。態度ひとつ。

大切にしていくところから、またやり直ししようかなと思えました。

 

あまりにも小さくて、紙一枚の薄さかも知れないけれど、

いつかどこかに  繋がるかも知れないから。

あんなにすごいライブを見てこんな程度の歩みしか据えられないのも 恥ずかしいけれど…。

 

ライブの後は

景色がいつもより彩り良く見えたり

呼吸がしやすくなったり

人に少し寛容になれたり

(機嫌が良くなるってことかね)

これも30年間変わらないです。

 

失ったと思ったし

もう二度と無いと思っていたけれど

行けると思わなかった。

 

今でも「ニュース速報」というテロップに息を呑みます。

ネットニュースにも不安になります。

 

生きて。

心身がどうか健やかで

あわよくば この先もこんなふうに歌い続けてくれて

あわあわよくば  また  また…ライブに行けたら。

 

その時は  あわあわあわです(どういうこと)。

 

会場に入る直前と直後に目に入ったのは、hitaruロビー窓から見える さっぽろテレビ塔でした。

子供の頃から当たり前にあったテレビ塔

「いってらっしゃい」「楽しかったかい」

そんなふうに言ってくれているようで。

今回hitaruでの10年振りASKAさんを機に

ちょっぴり想い入れができてしまいました。

 

あなたがずっとずっと大好きな存在はありますか?

 

どうかどうかその「大好き」を   大切になさってくださいね。

 

「未来(あした)のことが分かるのも便利だけど

    こんな気持ちでいられる今を素敵に思おう」

CHAGE and ASKA 『鏡が映したふたりでも』ー

 

独りよがりのお恥ずかし日記

最後まで読んでくださって、どうもありがとうございました。