甘いが、苦。
出来れば読み流して頂きたい、暗い内容です。
以前も同じ様な内容を書いてしまいましたので、尚更です。
独り言です。
書く事によって、自分の気持ちが整理されるのなら、という気持ちで書いたに過ぎませんので、せっかく来て下さった方には大変失礼かと思いますが、適当に通り過ぎて下さると、何よりです。
相変らず、自分が無職であるという事を、一時も忘れた事がありません。
忘れさせてもくれる訳もありません。
正確に言えば、睡眠中の、記憶が無い時だけは、何も考えず、「無」なのでしょう。
無職に限らず、お仕事をしていたらしていたで、いくら休日であろうとも仕事の事を忘れる事はないのですがね。
有職時代のお話も出来ない事もありませんが、今はやはり、無職の、今現在の気持ちを優先してしまいがちです。
無職の現在は、
何をしていても、何を見ても、何を聞いても、誰と話しても。
社会から外れた自分は、いつだって、その負い目を忘れる事はありません。
外に出ても、この世は働いている人々で埋め尽くされている事に気付かされます。
私だけ、まるで違う生き物のような、色形が違うような、そんな気分になります。
お食事をするにも、水道や電気を使うにも、息をするだけでも。
負い目ばかり感じます。
いつも、悪い事をしているような気分になり、犯罪者かのように、こそこそ、びくびく過ごしています。
今自分が抱えている負い目や、萎縮して日々を過ごしている全ての根本は、
仕事をして、収入を得る事以外には無い
という結論を、常に感じています。
自分の全てを理解する事は、自分にもとても難しい事です。
むしろ、自分だからこそ、自分の事が解っていない事もあるかも知れません。
他人の方が、自分を見ている事もあるかも知れません。
一番遠いのは、自分の心かも知れません。
でも。
どうしても、自分にも、他人にも、理解に苦しむ部分もあるのかなと思ったりします。
自分に経験が無いと、理解が難しい事もあるのかなと思ったりします。
その場に立って、初めて解る気持ちというものが、あるのだと思います。
男性には女性の、女性には男性の根本的心理の理解が難しい時もあるかも知れませんし。
育児経験が無い人が(私だ)、育児の大変さを実感出来る事が難しかったり。
独身者に(これも私だ)、既婚者の幸せや苦労を、言葉だけでは実感出来なかったり。
そして、
ギャンブルが大好きな人。
リストカットで苦しんでいる人。
お酒や煙草が大好きな人。
心・体の病気で苦しんでいる人…。
エトセトラ。
例に過ぎませんが、色々とそれぞれ抱え込んでいる事があるものだと思います。
最終的には、全てとは言えませんが、自分自身の努力で変えられる部分も、あるのでしょう。
ですから、こんな事を言うのも、ただただ投げやりな意見に過ぎないのですが、なかなかどうしても、理解に苦しむ、苦しまれる事は、致し方ないのかも知れません。
全ての人の心が解ってしまうのも、疲れてしまうかも知れませんものね。
そして、無職経験が1度も無い方が、無職の心理を理解するのも難しいのかなと、無職になってからよく思うものです。
逆もあり得ますね。
無職者に、お仕事の大変さを実感出来るのが、難しいものだったりするかも知れません。
ただ…私に当てはめてみますと、
「どうせその立場にならないと解らないんだ」と自分の事ばかり考え、自分から伝えようと努力する事を止め、自分を解って欲しいだの、知って欲しいだの言っているようなものです。
それは自分自身にも問題があるのでしょう…。
人は、他人の意見や話より、自分の意見を述べたり、自分自身の話がしたくてたまらなく、それにより自己満足をする生き物なのかなという、酷くやさぐれた事を考えたりしてしまいます。
そんなやさぐれ心を持つ自分自身が一番、うっとうしい「自分が自分が」精神の強い人間なのかも知れません。
自分独りの心の中のみで抱え込んでいると、それもまた、苦しくなる時があります。
「どうせ解ってもらえない」と悶々となり、悲観的思考が強くなって来ます。
どんどん、殻にこもってしまいます。
心が孤立してしまうばかりです。
そして私事ですが、言葉を経由して、自分の心を表現するという事が、とてつもなく不得意です。
加えて、自分の現在を秘め続けてしまう決定的な原因は、自分自身に問題があり、結局はダラケている部分や、都合の悪い事があるから、とことん抱え込んで来ているのかなとも思います。
しかし、そんな思いを繰り返すと、循環できずに、滞るばかりです。
私は恵まれているはずです。
両親高齢で不安もありながらも、それなりに健在で、私も大病なく、五体満足です。
雨風・雪をしのげるお家もあるし、夜はお布団で寝られます。
だからそれでも孤独だの言うのは、甘いですね。
そして、この気持ちが、「全て自分が蒔いた種」なのだと思うとまた、もはや自分を責める以外方法が無くなってしまいます。
親に申し訳ない。
親に申し訳ないです。
いいえ。
親だけではなく、「私と関わっている人全て」に、申し訳ないです。
無職の現在も有難すぎる程に、かすかながらでも人間関係が築けていたり、声をかけてくれる友達や家族が居る。
気にしてくれる人が居る。
その温かみを頂いているのにも関わらず、「どうせ人なんて」とか「どうせ自分なんて」と思っているようでは、恩を仇で返しているのと一緒です。
やさぐれた所で、外見にも辛気臭さが出てしまうでしょうし、福の神も寄ってこなくなるかも知れませんから、あまり悶々としないようにしなければならないですし。
かと言ってあっけらかんとし過ぎては、私の場合はダラダラしてしまうので、丁度良い塩梅を見出さなければなりません。
ネット内職と言えば聴こえは良いですが(ポイントサイト系ですね…)、それらでコツコツと貯めたお金をおろしに行きました。
数千円がATMから出てきた時に、久し振りの現金に嬉しくなりました。
でも、何か違うのですね。
人にもまれ苦労をし、働いたお金とはまた違うものなので、何ともそっけない現金に見えました。
そのついでに、本屋さんで無料の求人誌を持って帰りました。
今は求人を見るだけで、怖くて動悸がしたり火照ったりしてしまうのですが、まずは身近に求人誌のある状態に慣れて行きたいと思います。
自分でも、どこに結論を持って行けばいいのか解らなくなってしまいました。
ここまで読んで下さった、根気強い方に、とても恐縮な思いです。
申し訳ございません。
この上わがままですが、どうかスルーして下さいますと有難いです。
読んで下さった方、ごめんなさい。
どうもありがとうございました。