Hayuki’s diary

人との関わりにくさ、生きにくさや闇を抱え、ACODの自覚があります。猫好き札幌人「はゆき」と申します。

お空にも来てくれたサンタさん

事前にお伝えして下さっていたので、

置き配を目にした時の驚きはありませんでした。

…いや、驚きはあったな…。

箱の大きさで、驚きました。

ただ、その箱をじーっと見つめたまま動けずに

一旦玄関の扉を静かに閉めて、顔を押さえて泣きました。

この季節ならではのテープも嬉しく。

そのテープを惜しみつつ裂いていくと

素敵なラッピングと、メッセージカードがありました。

 

もう、それはもう、

いーいーいーいー泣きました。

 

えんえんとか可愛くなくてすまない。

 

写真がまだ入っていない状態でも ずっしりと重たい、

960枚たっぷり入る、写真アルバムを贈って下さいました。

写真映えしそうなブラック。

そして、SDカードリーダーまで…。

これも、すごく嬉しかったです(´;ω;`)

 

以前いただいたものや、自分で購入したものも利用しており、

このお陰で、過去のケータイの写真も見られているのですが、

母のiPadでも、見てもらいたいなと思って。

かわいいゆきちゃんの写真がわんさかあるので、

早く母に見てもらいたかったんです。

だからSDカードリーダーも、とても嬉しくて嬉しくて。

少しずつですが、準備していこうと思います。

これも、ゆきちゃんが与えてくれた楽しみのひとつです。

 

これまでも贈り物をして下さった方たちもまた本当に、

たくさん良くしていただきました。

 

改めて、どうもありがとうございました。

 

あったかマットも、ギリギリまで使っていましたよ。

これは今年2月の。足ピーンかわいい。

あったかマットはこの後 人間が大切に使います。

 

高価な療養食も、どれだけ助かったか…。

実のところ、11月に頂いたカリカリは、全て食べきれませんでした。

しかし、絶対に無駄にはさせないと決めています。

まだ、残ったフードや猫砂などの事まで全く手が回っていないのですが…

何とか保護団体など探して引き取って頂こうと考えているところです。

 

贈って下さる事も本当に嬉しかったし、

ゆきちゃんへの想いを語ってくれたり、

様々な方が、様々な方法で。

あなたならではのその方法で。

伝えて下さって、ありがとうございました。

 

伝えてくれるって本当に大切だなと思いました。

 

どうもありがとうございました。

 

ゆきちゃんはすごいな。

人徳?猫徳?

人柄?猫柄?

人望…ねこぼう…

本当に素敵な存在だ。

写真のチョイス…

 

▪️▪️▪️

 

そして写真の多さにてんやわんやしております。

 

CD-R・DVD-Rもある。

パソコン壊れた時にバックアップ取ってもらったのもある。

うちの環境ではCD-Rってブルーレイのプレーヤーに入れて、テレビ画面で見るしかないのか…?

テレビのUSBとiPad繋げられるのん?いみわからん

あっ、昔のデジカメもあった。

充電式じゃなく単三電池で使えて良かったのこれ。

ちょっとまってこの太古のウホウホケータイにもゆきちゃん撮ってあるよね!

さすがにこの太古のウホウホケータイにはマイクロSDカードなどない!

 

令和の今も、写真保存といえばCD-R・DVD-Rなのかしら。違うのん?

USBメモリやSDカードって割と繰り返しに弱いよね…。ものによるでしょうけれど。

写真整理のためだけにPC欲しいなあともよく思います( ˊᵕˋ;)

 

それとも今はもっとなにかあるの?iCloudとかお金払って託すやつ?

エッチデーデー?共有アルバム?NASってなんなす?

みんなどうしてるん…。ウホウホ…。

 

時代の流れもまた、それだけゆきちゃんと長く居たことを感じさせられます。

 

日々の写真フォルダには、

辛い時期にも、穏やかだった時期にも、

合間 合間にゆきちゃんの写真があって。

 

でも12月12日を最後にぴたりとなくなりました。

 

毎日まだお水やごはんは出しているのですが、

パウチや缶を開けた時のにおいが、すでに懐かしく感じます。

22年ほぼ毎日の ごはんのにおいが、もう懐かしく感じてしまうなんて。

 

ゆきちゃんが居た日々が どんどん過去のものとなって行くことが

今とても辛いです。

 

亡くなって日が浅い内は、どこか脳も心も忙しく。

ゆきちゃんが苦しみから解放された安堵や、ゆきちゃんへの感謝や愛ばかりが溢れていましたが、

苦しい日々は戻って行くのに、そこにふわふわで温かいゆきちゃんは居なくて。

 

おしっこでしめった猫砂が足に付いてしまって

床に猫砂の足跡が残っているのを

ずっと拭き掃除できないままでいます。

 

日々の辛さに浸かってしまって、情けない事に

ゆきちゃんが着けていた  母作のこの襟が柔らかくて、

ゆきちゃんのにおいが少し残っているような気がして、

ほおずりして泣いてしまいます。 

 

ベタに、骨壷抱きしめて泣く事もよくあります。

「ごめんねごめんね大丈夫だからね」と言いますが、ほんとごめんと思ってしまいます。

 

メソメソしてばかりでだめだなあと 頬をペチペチしながらも、

この現実の残酷さが、どう足掻いても、ただただ苦しいです。

 

一方で、なるべく楽しかった事を思い出そうとも思っています。

どうしても最期や、晩年の大変だった時が間近な記憶なので。

思い出せる大切なツールのひとつが写真です。

 

 

写真をプリントするのも大金が必要なので…一気には進められないと思いますが、

SDカードリーダーやアルバムを通して

ゆきちゃんと歩んだ22年という宝物を

改めて噛み締めたいなと思います。

 

そろそろダラダラ書くのも鬱陶しいなと自覚しています。

あともうちょっとかな…もう少し書き残したい事はあるので。

ごめんなさい。

 

最後まで読んで下さって、どうもありがとうございました。