Hayuki’s diary

人との関わりにくさ、生きにくさや闇を抱え、ACODの自覚があります。猫好き札幌人「はゆき」と申します。

ぽっかりとずっしり。

ゆきちゃんが亡くなった日を1として4日め。

 

もう、トライアルに猫砂とパウチ買いに行かなくていいんだ。

毎週あんなに大変だったのに。

あっぶねえ思いもしなくてもいいんだ。

学習しないことを恐れなくてもいいんだ(いいのか?)

母作の猫砂入れもお役御免だ。

トイレ用ポリ袋買わなくていいんだった。

えっ、ゴミ出し軽い。

今まで猫砂おしっこで重たくて重たくて。

軽い。楽。

悲しい。

 

 

足元を気にしなくていいんだ。

はみ出ているビニール袋は 母がわざと出していた。
ゆきちゃんがシャクシャク舐めるから。
そのために母がわざと出して楽しんでいたみたい。

本当に居ないんだなあ。

亡くなった後も「気配がする」「食べ飲みの音が聞こえる」など聞きますが、

今のところひとつも感じません。

私の気持ちとしては、その方が良いような気もしています。

「今の気持ち」でしかありませんが

その方が、この世への心残りや未練、心配や不安、戸惑いなどなくいられているんじゃないかなと思えるから。

「便りが無いのは良い便り」というように。

 

いつまでも ゆきちゃんゆきちゃん会いたいよ会いたいよメソメソメソメソばかりだと、ゆきちゃんに失礼だ。

そんな状態では「浮かばれないしょ」と母も言っていました。

 

ただ、そういう状態になる事を否定もできません。

その子の性格や年齢、亡くなり方。

そして環境や関係などにもよるような気もしています。

 

ゆきちゃんに関しては、だってあれだけ全うしたのだもの。

 

前々日には私と一晩朝までずっと過ごして。

前日には母の部屋で一晩朝までずっと過ごして。

そして母の部屋で亡くなるなんて。

なんて出来すぎた最期だったのでしょう。

こんなことあるんか。

 

一年半前、体重が落ちてしまって病院へ連れて行き、

いよいよ糖尿と腎臓の数値が悪くなったことを知った時のブログに、

私はこんなことを書いていました。

ふわふわ毛布でゴロゴロと、すやすやと…という訳にはいかなかったし

ゆきちゃん本人がどう望んでいたかは分からないけれど

本当に母の部屋での最期だったのはすごいなと思いました。

 

そして何より亡き骸が本当に、

可愛いだけではなく、美しくて、気高くて、神々しかったですから。

 

やはりその亡くなり方と亡き骸、そして見送り方が

未練の少ない気持ちにもさせてもらえている気もします。

 

▪️▪️▪️

 

とは言え毎日泣いています。

朝目覚めてすぐ、自分でも予想しなかったくらい えんえんと泣いて泣いて止まらなくなります。

ぐじゃぐじゃで起き上がって。

独り言も更に、病的に増えています。

 

母も毎日鼻をすすっているのが聞こえます。

私と同じく、心細そうです。

毎日お水とごはんを変えて、朝にはいちごベッドをぽかぽか窓辺に移動させ、骨壷を乗せています。

夜はひとまずテーブルの上に置きます。

ゆきちゃんコーナーを作るにはまだまだかかりそう

母が開けている扉を見ると、切ないです。

 

過去最大の悲しみに立ち会い、自分の脳も緊張していて、躁の状態である気もします。

これだけブログを書けているのもその証拠です。

これが落ち着いていった時が更に不安です。

終わりの始まりのような気分です。

 

やりたい事、やらなければいけない事もたくさんあるのに

体がこれまでにないほど重たくて、動かない。

 

この先母と辛気臭い日々が戻っても

そこには癒しのゆきちゃんが居た日常はもう無い。

 

何でも話せる 唯一の 話し相手が居なくなった

 

これから生活の中で辛い事があった時

すがるふわふわの愛はもう居ない

 

忘れて行くのも辛い

 

でもその分、与えられたものがそれほど大きかったという事でもあります。

 

ゆきちゃんが居ない景色には日々茫然としてしまいますが

だからと言って夢だったかのようでもなく。

 

亡くなってすぐは

私を保ち 作り上げてきた大きな大きなピースが抜け落ちたような感覚でしたが

抜け落ちてはいないはずだ

 

これまで彼女が与えてくれたものを

それはもう限りないものたちを

これからはより受け止めて受け継いで

私の人生と心を豊かにしてくれた感謝と共に

これからの よすがとして行こうと思います

 

写真がたくさんありすぎて。

まだまだいっぱいあって。

見て欲しくて仕方ない。

また逢う指切りもたくさんした。

 

それから、ゆきちゃんにたくさんの反応を頂けて、とても嬉しくて。

それも、ゆきちゃんの可愛さ美しさ、愛らしさ愛おしさを、

自分がこのような形で発信できたからこその賜物だと自画自賛しています。えっへん!うっふん!

 

もっと見てもらえるような方法もあったかとは思いますが、

猫専用アカウントまでは作ろうと思わなかったし、

動画編集は、努力とエネルギー不足で、それは致し方ないと思うし、

広く浅くではなく、狭く深くという私の気性がゆきちゃんにもそのまま反映された気がします。

 

今ここまで読んでいるあなたのことです!

こんなダラッダラな日記ふつうなら誰が読んでくれるか!

本当に、ありがとうございます!

今日は

以上!