Hayuki’s diary

人との関わりにくさ、生きにくさや闇を抱え、ACODの自覚があります。猫好き札幌人「はゆき」と申します。

『ASKA SYMPHONIC CONCERT TOUR 2008 "SCENE"』 真駒内セキスイハイムアイスアリーナ

 あまりにも、身の程をわきまえず。

 08年10月18日は、真駒内セキスイハイムアイスアリーナ(旧・真駒内アイスアリーナ)に行く事が出来ました。
 

 

■■■

 元、職場のRさん
 未だに私の事を忘れずに居て下さり、また、チケットを取って下さり…、
 誘って、頂けました…。

 本音、ここに書くのも後ろめたい、あまりにも、有難すぎる事です。

 以前から、捨てよう捨てようと思っていたギターや、古いデザインの18金のネックレスがあり、
 たまたま売りに出してみると、何とか、チケット代に届く事ができました。

 チケット代をRさんにお渡し出来た事には、
 とにかく、とにかく…気持ちが楽になれました。

 しかし。
 このような方法でしか、お金を得ようとしなかった今回の自分自身には、
 相も変わらず、課題を多く抱いており、その空しさと問題には、まだまだもっと向き合う必要があると、
 痛く、痛く、感じるものです。

 C&A関連で検索してくださった方は、訳の解らない書き出しで申し訳ございません。

■■■

 さて…今回は、オーケストラをバックに歌うライブでした。

 海外、国内を含む、その土地土地のオーケストラと共演する、コンサートでした。

 札幌公演は、当然…と言いますか…、札幌交響楽団でした。

 まさか、ASKAさんのライブを通して、札幌交響楽団の演奏を聞ける事となり。

 そしてまた、
 「弦楽○重奏曲」
 だの、
 「協奏曲 第○番 ○長調
 だの。
 私にとっては未知な世界ではなく、大好きなASKAさんの楽曲でオーケストラ演奏を聞けるだなんて…こんな贅沢はありませんでした。

■■■

 開演前。
 ステージ上には、ごく薄い、カーテンのようなスクリーンが下ろされていました。
 ステージの奥に、札響さん用の、沢山の座席がある事も確認できるくらい、薄いスクリーンでした。

 開演時間となると、ぞろぞろと、そして上品に、薄いスクリーン越しに、札響さんの方々が、席に付く様子が見て取れました。

 客席の明かりがじわじわと落ち。
 薄いスクリーン上には、幻想的な照明と映像。
 そして、札響さんの迫力ある演奏が始まりました。

 なんだこれ…。
 生オーケストラすごい…。


 壮大かつ感動的な曲調と映像とが相乗し、
 この時点で、すでに腕がブツブツしてしまいました。
 耐え切れず腕をごしごし。
 隣のRさんも「すごい…すごい…!」と、同じく感動の声をあげていました。

■■■

 オーケストラ=穏やかな曲ばかり…なのかと、とても無知で失礼な予想をしておりましたが、
 『僕はこの瞳で嘘をつく』のような、元気な曲もどんどんいけちゃっておりました。
 曲中の強弱がまた、音に命すら宿っているようでもあり。
 そして指揮者の方もまた、演奏者の一人として、体全体で音楽を奏でているかのようにさえ見えました。

 メンバー紹介として、ASKAさんが「札幌交響楽団」と述べた時の客席の拍手が、
 今回のオーケストラ演奏の評価を物語っていたようにも感じます。
 今まで経験したライブの中でも、あまり聞いたことがないくらい、大きく、長く続く拍手でした。

■■■

 この世でもまた、沢山の歴史が変わり、語り継がれ、現在に繋がっているのでしょう。

 ASKAさんがマチュピチュに行った…というMCの中で、
 自分達の知っている歴史は、どこかで表面をコーティングされているものであって、
 「歴史が動く時」というのは、があって、いっぱい血が流れる。
 語り継がれる歴史は、「勝者の側」の語る事が残って行く歴史だったりする。

 このようなフレーズがありました。(正確ではありませんが)。
 私は、手塚治虫火の鳥』「ヤマト編」の中にある言葉を思い出しました。

「つまり……歴史とは
 あらゆる角度から
 あらゆる人間の側から調べなければ
 ほんとのことは
 わからないものなのである」


火の鳥 3ヤマト・異形編 (角川文庫)
角川文庫 手塚治虫作品集「火の鳥」(3)ヤマト・異形編より

■■■

 人にとって不可欠なもの。
 「不可欠」という文字を、並び替えると「歌」になるのだと。
 歴史の中で変えられてしまって、本当は、可可欠…「歌」なのだと。

  ASKAさんはそのような事をお話していました。


 人間にとって、不可欠なのは「歌」なのかもしれない。


 難しい事は解らないけれど…荒んだ現代に生かされている中で、ASKAさんのお話や歌は、どんどん核心に向かって行っているような気も、漠然とだけど、してしまうのです。


 真か否かなど、誰が下すものでもないのでしょうし、
 何が真実かなどもまた、全てにおいてグレーであるのかもしれません。
 しかし。

 「僕らじゃないとくぐり抜ける事ができなかったから、僕らは選ばれて、この時代に生まれ合ってきた」
 なんてASKAさんの言葉ように、自分も思える瞬間があるのならば、この現代で生きる今もまた、ふと心がたくましくなれそうな時もある気がするのです。

 約2時間半のコンサート。
 ずっと座りっぱなしでしたので、足元から寒くなってきたり、お尻も痛くなってしまいましたが、  最後は長い長い、スタンディングオベーションでした。
 今回は今回で、いつものライブとはまた別物としての良さがあると思えたコンサートでした。
 本当に…幸せでした。

へっぴり腰になってしまいました。
 Rさん…本当に…どうもありがとう…。どうもありがとうございました。

 やはり、「ライブ」に敵うものはありません。


 自分勝手な事ばかり書かせて頂きました。
 ご不満ありましたら、申し訳ございません。
 最後までお付き合い下さいまして、どうもありがとうございました。